adhoc notes

とりとめのない雑記

ひさしぶりに『月姫』をやりなおしている


月姫 -EVER AFTER- OST 月下 (08) - YouTube

ひさしぶりに『月姫』をやりなおしている。

俺が『月姫』をはじめてプレイしたのは七年前のことだ。ひとまわり年長の従兄弟にすすめられてプレイした。俺がちょうど中学二年生のときだった。いちおう『月姫』は成人向けのアドベンチャーゲームなので、あまりほめられたことではない。まあそのことについては時効ということで。

そのとき俺は親父のパソコンで『月姫』をプレイしていた。そのパソコンは親父の書斎にあった。そのとき俺はまだ自分のパソコンを持っていなかった。親父の仕事用のパソコンだったので、まとまったプレイ時間を確保することはできなかった。俺がパソコンを使えるのは、俺が学校から帰ってきてから親父が仕事から帰ってくるまでのわずかな時間だけだった。平均して一時間くらいだったと思う。だから俺は放課後になると全力疾走で家に帰った。そしてすきまの時間でちょこちょこと『月姫』をプレイしていた。そんなルーチンを二ヶ月くらいくりかえしていた。攻略サイトをみなかったから余計に時間がかかった。

部活をやめた。ただひたすらに『月姫』をプレイすることに、生活のすべてを賭けていた。なかなかにおかしな生活を送っていたような気がする。本当にプレイに没頭していた。他のあらゆる要素への配慮がフェードアウトしていった。俺と『月姫』との関係が世界のすべてだった。その連結の純粋性と閉鎖性は、ある種の恍惚にみちた体験として記憶されている。なかなかいい思い出だ。

いま俺は『月姫』を自分のパソコンでプレイしている。MacBook Airでプレイしている。ONScripterでプレイしている。いまの俺のプレイ環境は当時のプレイ環境からは大きく隔てられている。それでも『月姫』の、ベタ塗りの立ち絵や、シンプルなBGMは、当時となんらかわらないサインを俺に送ってくれる。やりなおしてみて、あらためて『月姫』のゲームとしての強さを感じた。あのどぎつい朱の色はまったく色褪せることがない。原曲の「月下」はどのような環境でもほとんど同じ音色を再現できる。あの恍惚にみちた時間を再体験できる。

この前にプレイしたのは二年前だ。そのときも秋だった。『月姫』にはこの季節のイメージがしみついている。『月姫』の物語もこの季節のなかで展開する。俺が最初にプレイしたのも秋だった。ここちよい涼風が肌を撫でるようになる。そろそろ長袖を出そうかなと思う。そういうひとつひとつの所作のあいだに、ふと『月姫』の記憶が滑りこんでくる。

だから、いま、俺は『月姫』をやりなおしている。

なかなか時間がとれないので、まだそんなに進んでいない。いまアルクルートを終え、シエルルートのなかばだ。できれば一一月にはいるまでには終わらせたい。

追って感想も書きたい。