adhoc notes

とりとめのない雑記

想像力をいまふたたび―書評『福島第一原発観光地化計画』

福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2

鮮烈な想像力のあらわれを感じる。

本誌は二五年後の福島第一原子力発電所とその周辺のありうべき姿を提言する書物だ。また本誌はその提言をとおして二五年後の日本のありかたもまた問うている。

本誌の提言の中心には「観光地化」という言葉がある。「観光」という言葉には軽薄なイメージがとりついている。しかし本誌はその軽薄なイメージを更新しようと試みている。本誌の編集長である東浩紀氏は本誌の巻頭言で「観光地化」を「あらゆる人々の視線と関心を無条件に受け入れること」そして「絶対的な情報公開」であると定義している。東氏によればその「絶対的な情報公開」は事件の「風化」を防ぐために必要不可欠なことだ。

二〇一一年の東日本大震災はまだ記憶に新しい。東日本大震災に伴い発生した福島第一原子力発電所の事故はいまだ収束していない。そして収束の見込みもない。政治では福島第一原発事故の収束策がつねに議論の対象になっている。そのためいま日本にいる私たちにはその災害や事故についての記憶が風化するということは考えにくい。

しかし人の記憶は必ず薄れる。いかに悲惨な事故であろうともその事故についての記憶は徐々に薄れていく。風化は不可避なのだ。 七月に出版された本誌の前編である『チェルノブイリ・ダークツーリズムガイド』はそのことを強く意識させてくれる。『チェルノブイリ・ダークツーリズムガイド』はいまチェルノブイリが観光地化している様子を取材している。本誌で印象的なのは取材されている多くの関係者がチェルノブイリについての記憶の風化を嘆いていることだ。チェルノブイリ原子力発電所の事故のような悲惨な事故であったとしても、その事故についての記憶は風化していくのだ。そしておそらく福島第一原発の事故についての記憶もまた風化していくのである。

本誌はその風化に抵抗するためにこそ福島第一原発の「観光地化」を提言している。

本誌は四部構成をとっている。

第一部には現在の福島第一原発周辺地域の観光地化についての取材が収められている。現在も福島第一原発周辺の取材希望者にむけたボランティアガイドが開かれている。それらのガイドは本誌が提言する福島第一原発の観光地化の萌芽と見ることができるだろう。第一部にはそのボランティアガイド関係者への取材記事や、観光学者や社会学者らによる論考が収められている。

第二部には東京から福島への動線設計についての提言が収められている。観光地化とは絶対的な情報公開のことをさす。そして観光地化の達成のためにはそのポイントへのアクセシビリティの向上もまた必要不可欠だ。つまり福島第一原発を観光地化するためには、現在よりも容易に福島第一原発周辺にアクセスできるようになる必要があるのだ。そこで第三部では二〇一四年の完成を予定している「東北縦貫線」の工事を下敷きにした東京―福島の動線設計の提言が行われる。

第三部には福島第一原発周辺施設についての提言が収められている。その提言は主に「Jヴィレッジ」周辺の再開発計画として組織されている。その提言には駅の設計から、景観を考慮した施設全体の動線設定、アートオブジェ、ホテルとショッピングモール、コミュニティセンターなど様々な施設についてのイメージが収められている。それぞれの記事には多くの写真が付けられていてとても読みやすい。それらの記事を読んでいるとあたかも現実に存在する施設のカタログを読んでいるかのような錯覚に見舞われる。

第四部には七月に出版された本誌の前編『チェルノブイリ・ダークツーリズムガイド』の補遺と現在までに発表されている福島の復興計画の資料集が収められている。前者は前誌の読者にとっては優れた追加情報になる。また前誌を読んでいない人間にとっては前誌への動線となることだろう。

後者の復興計画資料集はこれだけでもひとつのコンテンツとなりうるほどに高品質なものだ。これまでさまざまな領域から福島の復興についての提言が出されてきた。しかしこれまでそれらの復興計画がまとめられた資料はなかった。この資料集ではそれらの復興計画案が「原発系」「居住系」「首都移転系」「観光系」という四つのカテゴリーのもとに収められている。またこの資料集はそれぞれの復興計画の実現可能性についてはひとまず括弧にくくったうえで構成されている。そのためこの資料集はがちがちの復興計画から荒唐無稽なものまで極めてバラエティに富んだ内容となっている。

最後に私が本誌に読みこんだ「ひとつの意志」について書いておく。

本誌は多くの人間が関わったプロジェクトである。その顔ぶれはジャーナリスト、観光学者、社会学者、芸術家などと極めて多様だ。プロジェクトに名を連ねている人間以外にも多くの人間が関わっていることだろう。そのため本誌に特定のひとりの人間の思想を読みこむことは難しい。

しかし本誌は明確なあるひとつの意志に貫かれているように思える。それは本誌で提言されている計画の実現を願う思いには回収されないものだ。その意志はもっと広くより抽象的なものだ。その意志について語るためにひとつの迂回路を用いよう。

本誌の計画の端々で大阪万国博覧会(以下、単に「万博」)とその周辺の知識人たちのイメージが参照されている。藤村龍至氏による「ふくしまゲートヴィレッジ」の動線設計や、梅沢和木氏による「ツナミの塔」にはそれが明確にあらわれている。

万博が開催された一九七〇年は戦後の日本においてひとつの区切りがついた年だと言える。その区切りはしばしば高度経済成長の一段落として、つまり経済的なものとして言及される。しかしそれは文化的な区切りとしても重要なものであった。

たとえば一九六〇年台後半の日本では学生運動が盛んであった。学生運動は既存の権威への抵抗として組織されていた。その運動には既存の権威の存在が前提として採用されていた。またその前提は学生運動の知的バックボーンであった革命思想もまた共有していたものだ。そしてこのような前提は一九六〇年台の日本においてはリアリティのあるものであった。

しかし一九七〇年台以降の日本においてはそのようなげんとして存在する「既存の権力」のような前提を想定することが難しくなってくる。その事象は社会システムのより一層の複雑化や、大衆の生活レベルの向上などに起因するものだろう。国民の大部分がミドルクラスとして再編成されていく社会においては、圧倒的な豊かさを享受している者や既得権益を不当に受給している者を想定する余地は徐々に狭められていく。その事態の進行に伴い学生運動や革命思想もまた徐々に衰退していった。

より抽象的にこの事態を「想像力の衰退」としてとらえることができるだろう。想像力は創造や構築の基礎となる重要な能力だ。なにかを創造しようとする試みには目的が必要になる。想像力とはその目的を整備する能力である。

先の例にひきつけていうならば、革命を引き起こすためには革命の目的が必要となる。学生運動や革命思想においては、既存の権威によって不均等に配分されている資源の再配分が革命の目的となる。そのような権威がげんに存在している必要はない。それが存在しているかのような幻想を構築し人々のあいだで共有することが必要なのだ。そのために革命家たちは革命の目的に人々が同意するように言説を構築する。そのときに想像力が必要となるのだ。想像力は現実に存在するかどうかわからないものを、あたかもそれが存在しているかのように扱うための能力だ。

万博には「想像力の衰退」という事態がよりよく現れている。それは万博が想像力に欠如したプログラムであるということではない。むしろ万博は戦後日本の想像力の結晶である。しかしそれは「想像力の臨界点」であるという意味においてである。

万博には梅棹忠夫小松左京丹下健三黒川紀章磯崎新など多くの進歩的知識人たちが参加していた。万博のパビリオンはその知識人たちの想像力の結晶である。しかし万博以降、その知識人たちはさまざまな領域で苦戦を強いられることになる。たとえば丹下健三黒川紀章が担い手であった「メタボリズム」とよばれる建築思潮は、一九七〇年台以降当初の盛り上がりを失い、徐々に衰退していく。また小松左京は一九七〇年台以降、それ以前のハードSF的な傾向を失い、『日本沈没』に代表されるようなより政治的かつ現実的な作品を発表していく。

万博に参加した知識人たちの多くが万博以後の仕事において変節を経ている。そこには万博で提示されたような想像力が、万博以後の世界において明確に機能不全を起こしたことがあらわれている。その機能不全は彼らのビジョンが時代遅れのものであったがゆえに起きたものではない。むしろその想像力が万博以後の現実にあまりにも適合的であったがゆえに、彼らの想像力は万博以後に機能不全を起こすことになったのだ。想像力が現実ではないものを扱う。万博に参加した知識人たちは現実には存在しない未来についての言説を構築した。そしてその言説は万博以後の未来の姿そのものであった。現実が想像力に追いつきすぎたのだ。万博以後の世界では万博に結集された想像力が想像力として機能する余地が狭められていったのだ。

いささか遠回りをしてしまった。結論を記そう。本誌は想像力を復権しようとする意志に満たされている。本誌は「想像力の衰退」という事態にピリオドを打ち、いまいちど想像力を現実に向かいあうための能力として復権させようとしている。そのために本誌は想像力がいまだ力を維持していた時代のイメージを参照している。

万博の時代にはまだ想像力が力をもっていた。万博の時代には想像力はいまだ現実と密接な関係を維持していた。しかし万博以後、想像力は力を失い、現実について考えることと想像力とのあいだの距離は広がっていった。本誌は想像力を再び現実へと結びつけようとしている。この現実に立ち向かうための能力としての想像力を復権しようとしているのだ。

本誌は二五年後の福島第一原発を主要な題材としている。そのことによって本誌は二五年後の日本について具体的に語ろうとしている。つまり本誌は未来について具体的に語ろうとしている。

未来について具体的に語ることは難しい。未来は私たちの目の前には存在しないものだ。未来について具体的に語るということは、現実の対象を欠いたままに具体的に思考を走査させるといういささか語義矛盾的な営みに他ならない。

しかし人はそのような語義矛盾的な営みから解き放たれて生きることはできない。人は対象なき何ものかについての思考なしに生きることはできない。人はそのような思考を抜きにして現実を認識することはできない。現実の人間の生はこの現実ではない何ものかを参照することによってはじめてその輪郭が確定する。人間は現実の中で生きるために定義上そのような思考を必要としている。

想像力はその思考のなかで重要な役割を果たす。想像力は現実に存在しないものをそれがあたかも存在しているかのように扱うための能力だ。私たちは想像力を媒介することによってはじめて現実に存在しないなにものかについて思考することができる。そしてその思考を経ることによって私たちはじめては現実を認識することができるのだ。私たちは想像力なしに現実を認識することはできず、生きることもできない。

万博以後の「想像力の衰退」という事態はこの機構の透明化という事態として捉えることができる。「想像力の衰退」という事態は想像力の消失を意味しない。想像力が生活の前提のなかに組みこまれ上手く作動しているがゆえに、その存在が捉えづらくなるなるのだ。想像力は現実と激しい衝突を見せる場面で鮮烈にその姿をあらわす。そのため想像力があまりにも上手く作動している世界のなかでは、想像力について語られることがなくなっていくのだ。私のいう「想像力の衰退」とはそのような事態を指している。

東日本大震災とそれに伴った福島第一原発事故は強烈な現実だ。これまでにその現実に対してさまざまな想像力が挑んできた。本誌もまたその現実に想像力で挑んでいる。そして現実に一見荒唐無稽に思える提言を対置することによって、読者に現実と想像力が衝突する場面を見せている。

その実践は私たちを想像力のほうへと誘っている。本誌の言葉を使えば、本誌には想像力への動線が設計されている。現実についてより深く思考するためには想像力が必要になる。しかし想像力が衰退した世界のなかで想像力は徐々に不可視なものになっていく。本誌は想像力が衰退した世界のなかで、現実と想像力との衝突を描いている。その衝突をとおして私たちは想像力の輪郭を認識することができる。そして本誌はそのことをとおして想像力の力を復活させようとしている。本誌はその復活への意志に満たされている。

本誌は福島第一原発周辺の未来についての提言書であるだけでなく、想像力の復活を訴えるためのマニフェストでもある。本誌で提示された想像力がこれから先どのような展開を見せるのかに注目していきたい。そしてその想像力の担い手は本誌の読者である私たちである。本誌で提示された想像力の展開は、私たちの手に委ねられている。